先生、イギリス行くってよ。

〜平成生まれ、ゆとり世代の高校教師がUCL・Institute of Educationへ留学する話〜

【4】開発学を志した経緯

 

侑です。

キャンパスから徒歩1分のJohn Adams Hall(ジョン・アダムス・ホール)というところに住んでいます。学校から近いって快適ですね。1日3往復くらいしてしまう。もはや学校に住んでいる気分。。。

 

さて、現在イギリスで開発教育学を専攻していますが、今日は僕が開発教育学を専攻するまでの経緯を記して見ようと思います。

 

カンボジアでの出会い

 

社会人になって2年目、年末に10日程度お休みをいただいて、ベトナム→カンボジア→タイというルートで1人旅をしました。メインの目的はアンコールワット。

 

アンコールワットがある街、シェムリアップに到着すると、そこは信号が1つだけのど田舎で、観光客用のバーが立ち並ぶエリアはごく一部でした。

 

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そこでたまたま同じ宿に泊まっていた医学生達と、ちょっとした出会いで街から少し離れた学校へ見学へ行くことになり、そこで見た現実が僕の進路の分岐点となりました。

 

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ちなみに僕がカンボジアに行く少し前、向井理さん主演の映画、「僕たちは世界を変えることができない」が上映され、僕が泊まったバックパッカー宿にも、向井さんの写真がたくさん貼られていました。撮影に使われていたのかな??

 

www.youtube.com

 

え、思うてたんと違う。

 

学校へ行きました。その日、行くまでずっと、

 

「学校が足りないんだろうな。教室が足りないんだろうな。」

 

と思ってました。

 

逆でした。

 

学校はある。教室も十分ある。子供もたくさん来ている。でも、教える人が全然足りてない。

 

僕が見た現実は、こうでした。

もちろん、これは場所によることだとは思いますが、少なくとも僕自身は途上国の教育問題の中にこのような類の問題が存在していることを認知していませんでした。

 

「世界各国の政府、個人、NGO等の支援があって、ハードは年々良くなってきている。しかし、ソフトが充実しない。つまり、農村部のカンボジア人はこれまで教育を軽視する傾向があったため、学識を備えた大人が少ない。だから、教師として子供達の前に立てる人材の数が限られてしまっている。

 

と現地の先生は言っていました。

 

驚きました。

教師は現地の人間であるべきだが、学識を備えた現地の大人が少ない。

どうするべきなのだろうか。

 

そんな疑問も持ったことが、開発教育学を志した原点となりました。